細田高広(ほそだ たかひろ)
2020年40 UNDER40(アジアのマーケティング業界における40歳以下のリーダー40名に選出。カンヌ金賞、NY ADCグランプリ、CLIOグランプリ、SPIKES ASIAグランプリ、ACCグランプリほか受賞多数。[著書]『未来は言葉でつくられる』(ダイヤモンド社)ほか多数。
「男だってカクテルを飲むものだ(Men drink cocktails,too)」。これは、2020年に公開されたハイネケンのブランドCMのキャッチコピーだ。世界シェア2位を誇るビール会社のメッセージとしては、意外な言葉ではないだろうか。CMの冒頭、ウェイターが男女のもとにビールとカクテルを運んでくる。迷う素振りも見せず女性には可愛らしいカクテルを、男性の前にはハイネケンを置く。ところが実際のオーダーはこの逆で、カクテルは男が頼んだものだったのだ。気まずそうな表情をして顔を見合わせる客の男女。くすりと笑える演出にはなっているが、ほとんどの日本人は心の底では笑えないはずだ。無意識の罪を体現したウェイターは、私たち一人ひとりの鏡像でもある。
このCMのように、性別への固定観念をなくす意図でつくられた広告表現を、本稿では「アンステレオタイプ広告」と呼ぶ。「アンステレオタイプ」の動き自体は、広告に限らず世界各地の様々な表現領域で見られるものだ。例えばハリウッド映画でも、アクションやアドベンチャーといったジャンルの主人公に女性が抜擢されることが急速に増えた。
10年代から広告業界でもジェンダーバイアスに対する問題提起がなされてきたが、その流れを世界的に決定づけたのは17年のカンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルだった。ジェンダー平等を目指す国連女性機関UNWomenが、有力な賛同企業らとともに「アンステレオタイプアライアンス」を発足。メディアや広告の力を使ってステレオタイプを是正していく活動への参加を広く呼びかけた。
固定観念から自由になるために
残念ながら、広告づくりは放っておくと固定観念を強化する方向に力が働いてしまう。標準的な制作プロセスは、まず最も商品を購入する見込みの高いターゲットを特定するところから始まる。食品や消費財であれば女性、それも主婦層に選ばれることが必須だと過去のデータが示している。そこで主婦たちの気持ちを深掘りし、主婦を中心に描く広告をつくることになる。こうして「主婦がより楽しく食事を準備する」広告が企画されるわけだが、そのまま制作を進めれば女性の役割を固定化する内容に仕上がる恐れがあるだろう。このように、合理的なマーケティング判断が、ステレオタイプを増長する「危うさ」が広告制作にはつきまとうのだ。ほかのカテゴリーでも同様のことが起こる。
問題は悪意の介在ではなく、善意の不在であろう。マーケティングとしての正しさは、必ずしも社会的正義ではない。プロセスを抜本的に変えるのは難しいが、純然たるマーケティングや広告のものとは別の論理、いや倫理を持ち込むことが求められる。アンステレオタイプアライアンスは、その指針として3つのPからなるフレームワークを提唱している。
①Presence(男性、女性、多様な人が存在しているか?)
テレビなどのメディアで、男性が映される時間は女性に比べて圧倒的に長い。登場時間の差は、発言量の差にもなる。アンステレオタイプ表現のファーストステップは、男性と女性(に限らず多様な人々)が平等に存在する状態をつくることだ。男性だらけの会議室などがコンテやグラフィックに描かれていたら、それを不自然と思う感覚が求められるであろう。
②Perspective(偏りのない視点で語られているか?)
女性やマイノリティが登場していたとしても、広告の語り方が男性やマジョリティの視点から一
方的なものになっていたら意味がない。物語る「視点」に偏りがないことが大切である。
③Personality(個性が重んじられているか?)
女性をマネキンのように見た目だけの存在として描いたり、典型的な女性像にはめ込んだりとい
った描写は避けるべきである。女性や男性である前に、ひとりの個性。主体性を持った人物として捉えることを肝に銘じておこう。
カンヌが賞賛したアンステレオタイプ広告
3つの視点はクリエイティブ業務に対する「制約」ではなく、むしろ「可能性」と理解するほうが正しい。アンステレオタイプを意識することは、過去にはなかった発想を可能にし、物語に幅と深みを与える思考ツールでもある。創造性とは元来、固定観念の打破に最もその力を発揮するものだ。それでは3つのPを高次元で満たしたアイデアとは、どのようなものか。カンヌライオンズでも高く評価されたアイデアを紹介しておこう。
事例1 NISSAN #SheDrives
サウジアラビアは、世界で唯一女性の自動車運転が禁じられていた国であったが、18年に女性にも運転が認められることになった。だが残念なことに、すべての男性たちが国の決定に納得しているわけではなく、一方では女性たちも教習所に行くのをためらっていた。
この保守的な社会ムードを変えるべく、中東日産は#SheDrivesという映像を公開した。女性たちが初めて運転席に座り、自動車教習の開始を待っていると、教官として現れたのは親族ら身近な男性たちだった、というサプライズ企画だ。クルマというモノを通して、ジェンダーギャップを乗り越える瞬間が描かれたこの静かなドキュメンタリーは、文化の違いを超えて胸を打つ。この広告では、女性だけでなく男性も参加することがそもそものコアアイデアになっており(Presence)、男女双方の視点が提示され(Perspective)、初めてのドライブが一人ひとりの女性にとって違った意味を持つ出来事として理解されている(Personality)。
事例 2 LESSONS IN HERSTORY
アメリカの教科書が取り上げる人物のうち、女性はたったの11%だという。「History(歴史)」とはつまり「His story(男の物語)」だったのだ。こうした歪んだ歴史の認識からジェンダーバイアスを変えるために、アメリカの教育系NPOがプロデュースしたのが、「Lessons in Herstory」というアプリである。スマートフォンを歴史の教科書にかざし、歴史上の偉人として紹介されている男性の写真をスキャンすると、AR(拡張現実)技術で同じ時代に活躍した女性のイラストや情報が現れる。こうしたテクノロジーを使い、教科書の中に女性を男性と同じ程度「登場」させた。さらに、女性の「視点」と果たしてきた「独自の役割」を学べるようにして、3つのPをきれいに満たした。
新しい「当たり前」をつくるという使命
女性らしい振る舞い。男性らしい振る舞い。日本人らしさ。アメリカ人らしさ。子どもだから。親だから。私たちの世界認識はいくつもの「偏見」で成り立っている。刷り込まれたステレオタイプの膨大さと根深さに気がつくとき、こうした価値観を変えるのは永遠に不可能に思える。だが、数々のステレオタイプを生み出してきた中心的存在は、広告とメディアである。力を正しく使うことができれば、価値観の上書き保存は十分に可能なはずだ。
日本でもすでにアンステレオタイプの動きは確実に始まっている。テレビをつければ男性たちが洗濯を楽しみ、女性がビジネスリーダーとして活躍し、夫婦が料理を分担してつくりあげる、以前には想像できなかった光景が描かれることが増えた。今はまだ、現実とは大きく乖離があるかもしれない。だが、この新しい「当たり前」に触れた子どもたちが大きくなったら、これまでとは違う行動をとってくれるだろう。アンステレオタイプの取り組みは、決してコンプライアンスや炎上対策のためのものではない。誰も不利益を被らない、フェアな未来への先行投資なのだ。