確かにカンヌにはONE SHOWはじめいくつかの国際広告賞に見られる「グランプリ・オブ・ザ・イヤー」に当たる賞はありません。
あえてそうしているのか? それは定かではありませんが、“今年を象徴する一作”は、公式には選出しないアワード設計になっています。
しかし、ここでは「なぜそうなのか?」をあえて深掘りしてみることにします。そのプロセスの中で、2020年代のマーケティングを考える上で、重要な視点が浮かび上がってくるからです。
ひとつ目のポイントは「ダイバーシティ」。
メディアとテクノロジーが多様化するにつれ、マーケティングの手法や表現のスタイルも細分化しているいまの時代、ひとつのクライテリア(判断基準)から広告施策を評価するのは困難になっています。
つまり、SNSをメインに展開された「バズ・キャンペーン」と娯楽映画顔負けの予算を投じて制作された「長編コマーシャル」、ネットからテレビ、OOHまでを連動させた「統合キャンペーン」などを、同じ土俵に上げて優劣を論じるのは、そもそも無理があるということです。
カンヌを広告業界の“オリンピック”と捉えるとイメージが湧きやすいかもしれません。陸上・水泳から球技、格闘技といった多様なルールとスタイルの競技が一堂に集う場ーーカンヌはそのマーケティング業界版と言えそうです。
しかし、公式には選出されないとはいえ、世界の広告業界で、“今年の顔”として語られる代表的キャンペーンやプロジェクトがおのずと存在するのもまた事実です。
カンヌのアワードは現在、28もの部門(ライオン)に細分化され、約1000もの受賞作が発表されていますが、例年複数部門にまたがってグランプリを獲得する“スーパー・キャンペーン”があり、それらは世界に強いインパクトを与えています。
今年(2021年)を例にとるとEssityの「#WombStories」(※部門によっては「#WombPainStories」としてエントリー)は、「①Titanium(チタニウム)」「②Health & Wellness(ヘルス&ウェルネス)」「③Film」「④Film Craft」と4つのグランプリを獲得、他部門でもゴールドほか多くのライオンを受賞しました。
#WombStories
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これまでの常識を打ち破る「革新的メッセージ」と、あらゆるメディアを動員した「巷での話題性」、CMで表現される「エモーショナルなストーリーテリング」、アニメーションと実写を効果的に用いた「映像制作のクオリティの高さ」など、各方面のクライテリアから見て卓越したキャンペーンになっていることから、#WombStoriesを“今年の顔”と捉える向きは多いでしょう。
どの部門で受賞するかも鍵になります。
映像広告に特化した「Film」や広告業界の“ゲームチェンジャー”を評価する「Titanium」は、長らくカンヌの花形部門とされており、受賞のハードルも高いため、これらの部門のグランプリは“今年を象徴する施策”と捉えられる傾向があります。
時代によって注目の部門が変化していく側面もあります。2000年代後半までは「Film」が圧倒的な影響力を誇っていましたが、次第に統合キャンペーン(「Titanium & Integrated」ほか)の存在感が増してきました。
しかし、近頃では花形部門の優位性が揺らいでいる印象も受けます。
カンヌではおおよそこの10年、「PR」や「Design(デザイン)」「Social &Influencer(ソーシャル・インフルエンサー)」「Creative eCommerce (クリエイティブeコマース)」など、新部門が続々と設けられました。今年も「Creative Business Transformation(クリエイティブ・ビジネス・トランスフォーメーション)」が設立されています。
「フィルム」「アウトドア」「サイバー」「メディア」「プレス」の5部門構成だった2000年代初頭と比べると、まるで別のフェスティバルのようです。
28の部門はそれぞれ、その性格に応じて「コミュニケーション」「クラフト」「エンタテインメント」「エクスペリエンス」「グッド」「ヘルス」「インパクト」「イノベーション」「リーチ」の9つのトラックにカテゴライズされています。
※カンヌライオンズの部門。それぞれが9つのトラックに分類されている
部門数が増えるにつれ、かつての「テレビCMの祭典」としてのカンヌのイメージは希薄になり、全部門をイーブンに扱う、ある種の“民主化”の動きも生じました。
2020年代には、すべてのカテゴリーのフラット化がさらに顕著になる可能性もありそうです(さらには部門の大胆な整理統合もあるかもしれません。細分化の進んだいまのカテゴライズは、複雑すぎるとの声もあります)。
①モバイル業界(モバイル部門)や②ITベンチャー(イノベーション部門)、③エンタテインメント業界(エンタメ系3部門)から④医療産業(ヘルス系2部門)、⑤NPO(ソーシャル・グッド系各部門)まで、広告主や広告代理店以外のマーケティング関連ビジネスの新規参入も活発で、大手プラットフォーマーやコンサルティングファームの存在感が増しています。
それら業界によっても、関心のある部門はおのずと異なるでしょう。
つまり、「クリエイティビティ」をアイデンティティに据えた上で、様々なビジネス領域をバランスよく包摂しているのが、現在のカンヌの特長です。
よって、ふたつ目のポイントは「インクルージョン」ということになります。
世界のマーケティング産業が「VUCA(予測不能)の時代」の只中にあるいま、アワードの設計も、多様性を包摂したものにならざるをえない。その意味でカンヌは、「ダイバーシティ&インクルージョン」を体現する国際フェスティバルとなっていると言えます。
いわば“頂点”が存在しない世界。そう考えると、「グランプリ・オブ・ザ・イヤー」がないのも合点がいきます。
河尻亨一(かわじり・こういち)
編集者、銀河ライター。1974年生まれ。
取材・執筆からイベント、企業コンテンツの企画制作ほか、広告とジャーナリズムをつなぐ活動を行う。
カンヌライオンズ国際クリエイティビティフェスティバルは、2007年以降、取材している。
著書に『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』、訳書に『CREATIVE SUPERPOWERS』がある。東北芸術工科大学客員教授。