専門はブランド・マネジメント、マーケティング・コミュニケーション、消費者行動論。
今日、パンデミックの危機下だからこそ、企業経営で最も注目されるキーワードは「パーパス」(目的・存在意義)ではないだろうか。「パーパス」とは企業の目的を問い直し、明確に規定、表現することだ。例えば、グーグルは「世界中の情報を整理し、世界中の人がアクセスできて使えるようにする(より多くの人々の、より良い毎日のために)」、テスラは「持続可能なエネルギーへのシフトを世界中で加速させる」など、社会へ働きかける存在意義から事業目的を設定する点に特徴がある。
それは、CSV(Creating Shared Value)や、CSR(企業の社会的責任)から、SDGs(持続可能な開発目標)、ESG(環境・社会・企業統治)など社会的課題と通底する流れを引き寄せる。さらに、スタートアップでも実現不可能な目標を引き寄せる「ムーンショット」、野心的な変革目標としての「MTP(Massive Transformative Purpose)」、組織の自律的進化への「エボリューショナリー・パーパス」など、「パーパス」の概念は、経営改革、事業イノベーション、組織変革など広範な領域に強い影響を持つ概念となってきている。
それに随伴するように、カンヌ国際クリエイティビティ・フェスティバルでも、クリエイティブの狙いは「売る」ことよりもさらに上位のビジネス目的への結びつけが志向されている。多義化する「パーパス」という概念をどう理解するのかは、今多くの関心を引き寄せる課題となっていると言える。
NIKE “Dream Crazy” とパーパス
パーパスを改めて強く印象付けたのが、元NFLサンフランシスコ49ersのクオーターバック、コリン・キャパニック(Colin Kaepernick)を起用したNIKEのキャンペーンである。
2016年、警察の黒人射殺事件や人種差別に対する抗議の意を表明するためにキャパニックは、アメリカンフットボールの試合前の米国国歌が流されている間、膝をついた姿勢で抗議行動をとった。それを「国歌を侮辱した」とトランプ大統領が怒りをツイッターで発し、キャパニックを非難した。そのため、NFLもキャパニックの抗議行動に反対を表明し、キャパニックはチームとの契約を結べないま
ま事実上の解雇となってしまう。
しかし19年、突然NIKEが、世界的に有名なタグライン〈Just Do It.(ためらわずやろう)〉の誕生30年を記念した「Dream Crazy」キャンペーンでキャパニックを起用する。NIKEは自社ビルの上の巨大なビルボードに、キャパニックの顔を全面にしたモノクロの広告を掲出。その顔の上には「何かを信じたら、たとえそれがすべてを犠牲にすることであっても、ためらわずやろう」(Believe in
something. Even if it means sacrificing everything.Just Do It.)とタグラインが書かれた。
このビルボードのメッセージと共に、NIKEはユーチューブに「Dream Crazy」動画を流し始め、それを再びトランプ大統領が非難。ソーシャルメディアでもNIKEの靴を焼き払っている批判の動画がアップされた。しかし、NIKEを支持するユーザーが次々と現れ、商品はオンラインで驚異的な売り上げを記録し、株価は反転上昇し、同社史上最高値の80・06㌦を更新したのである。
長くアメリカの広告業界を紹介してきた楓セビル氏は、「ブランド・アクティビズム」としてエデルマンリサーチのCEOの発言を紹介している。「ブランドは、伝統的なマーケティングの目的であった〝販売〟を超え、オピニオンリーダーになっている。企業がその価値観や会社の『パーパス(Purpose)』を全うしたり、場合によってはブランド・アクティビズムに飛躍したりすることを、消費者が求める時代になっている」(『ブレーン』19年2月号)。
パーパスへのNIKEのビジネスの流れ
この社会的事件で注目したいのは、背景としてあるNIKEのビジネスが、社会や個人の生き方へと越境しながら交錯する流れである。
鈴木透慶應義塾大学教授が『スポーツ国家アメリカ』(中公新書)で指摘したように、アメリカ型スポーツ(野球、アメリカンフットボール、バスケットボールなど)ではデモクラシー的な公共性と巨大なビジネスがせめぎ合い、アメリカ社会での規範、公正な競争がスポーツのゲームルールの中に映し出される。NIKEが関わるスポーツが巨大なビジネス市場として成長する中で、アメリカの混沌とする人種と差別、貧富などの社会問題はそこに強く組み込まれ、アメリカ社会を問うのである。
また、NIKEの事業自体も、デジタル・トランスフォーメーションを介して顧客へのカスタマイゼーションへと、より個人の生き方へ関わりを強めている。購買行動ではNIKE By YouのようなWeb上でパーツをカスタムデザインする直販を展開。またバスケットシューズNIKE adapt BB2.0は、センサー機能で生体反応を読み取り、ユーザーの「使用状況」にカスタマイズしていく。生体データからのデジタル情報を提供する「スマートサービス消費」である。アスリートたちを引き寄せ、「Nike Run Club」「Nike Training Club」など、P2P(Peer to Peer)での仲間としてつながりを支援すると共に、ユーザーの利用する場にダイレクトに介在していくのである。ここでは、ユーザーが装着する常時接続性、サービス提供での相互作用性からデータを収集し、顧客の生活や活動そのものをアクティベートして、積極的なインタラクションを生み出し、個人の生き方へと関わっていくのである。
そこでは、「パーパス(Just Do It.)」のもとに個々人の生き方に関わることで、キャパニックの件でNIKEを支持したように、顧客とのインタラクションから共創するネットワークが形成され、それが顧客や従業員をインフルエンサー化する母体となる。
いずれも、製品や市場を越境して社会や個人へダイレクトに働きかけることで、NIKEの「存在意義」を共有し、持続的な運動体としてビジネスの原動力をもたらしていく。
パーパスがもたらす活動システムへのブランディングの変容
NIKEの事例は、「パーパス」をベースに事業フレームとコミュニケーションが同軸となり、自ら動くことで広く社会からの求心力を高める点であり、以下の特徴を持っている。
➀個々人でのアクションと共に事業価値を生み出す
事業の中核的対象者はコンシューマー(受け手/価値提供される側/購買者)というより、ユーザー(働き手/価値創造する/利用者)と捉えられ、ユーザー・コミュニティーと共有できるアクションから、商品やサービスでの事業価値を共創していく。
➁企業アイデンティティを再帰的に形成する
あらかじめ決められている(確かな)理想に自己を合わせるのではなく、目的(パーパス)に働きかけるインパクトから自己とのつながりを形成し、自らを社会や他者に映し出すことで自己規定を確かにする「再帰性(reflexivity)」が志向される。
➂事業の再定義を導く世界観
自らや社会を変えていく世界観を持ち、そこから事業の再定義をすると共にユーザーとのエモーショナルなコネクトを生み出す中で、常に業態をデジタル技術を介して変容し、拡張していく。
共創型戦略デザインファームの佐宗邦威氏は、「21世紀での経営モデルでは、組織外の人材を引き付ける求心力が必要であり、パーパスはそれを生み出す起点として組織の新しい方向を提示する」と指摘した(「組織の『存在意義』をデザインする」『ハーバード・ビジネス・レビュー』19年3月)。
NIKEの例を見る限り、重要なのは「パーパス(社会への働きかけ)」を介して、「アイデンティティ(自分たちは社会でどうありたいのか)」をより確かにしていく求心力と言える。佐宗氏は、「イメージの管理」から「行動を生み出す」ことへとシフトしたパーパス・ブランディングは「存在意義」を世の中に伝播させる運動体と語る。そこには「パーパス」共有から顧客と共に創る「活動システム」へと新たに広がるモード(様式)が見えてくるのではないだろうか。