2021.11.9 share

 「social good」「purpose」――。カンヌライオンズで注目を集める5つの顔のうち、「世界・社会を映す鏡」について、ライトパブリシティの杉山恒太郎社長に、銀河ライターの河尻亨一氏が聞いた。

sugiyama


杉山 恒太郎
(すぎやま こうたろう)

大学卒業後、電通入社。クリエーティブ局配属。1999年よりデジタル領域のリーダーをつとめ、取締役常務執行役員を経て、2012年ライトパブリシティへ移籍。15年より現職。主な仕事に、小学館「ピッカピカの一年生」、ACジャパン「WATER MAN」など。カンヌ国際広告祭ゴールドほか、国内外の受賞多数。[著書]『アイデアの発見』『ピッカピカの一年生を作った男』ほか多数。

カンヌで目の当たりにした世界の文法

河尻 杉山さんはカンヌライオンズの審査員を3回経験され、その後、現地視察も続けていらっしゃいます。今日は「世界・社会を映す鏡としてのカンヌ」というテーマですが、まずはどんな審査体験だったのか、そのあたりからうかがってみたいと。最初は1990年代の初頭にフィルム部門の審査員をされたんですね?

杉山 そうですね。現役のクリエイターとして審査員を務めたのは、おそらく日本では僕が初めてなんじゃないかと思います。でも、いまと違って当時はおそろしく情報が少なかったこともあり、現地に行って驚愕することになりました。スクリーニングと言って、各国からエントリーされたCMをシアターで上映するのですが、そのときに日本のCMがブーイングされたり、足を踏みならされたりしているシーンを目の当たりにすることになって。

河尻 私が初めて参加したのは2007年ですが、その頃もまだブーイングのカルチャーは残っていて何回も目撃しました。あれはショックを受けますね。

杉山 うん、「コピーライターブーム」という言葉に象徴されるように、当時、日本の広告は世界でも有数の面白さだという空気があって、僕自身その端くれだと思っていただけに、衝撃はさらに大きくて。世界のど真ん中に行って、日本の広告は本流から離れているんだということを思い知らされましたね。

 それは決して日本の広告が劣っているということではないんです。独自の進化を遂げてしまっているということ。枝葉としてはよく繁っているけど幹ではないんですね。それで帰国してから、カンヌライオンズの現状を報告することに力を入れました。世界のアワードで評価されるのは、こういう広告なんだということを伝えたいと思って。

河尻 それはいまに通じる部分もあるかもしれません。現地で感じた日本の広告との違いについて、もう少しおうかがいしたいです。

杉山 まあ、いまはマーケティング・カンファレンスの色合いが濃くなっているので、当時のカンヌ国際広告祭とはちょっと変わってきてますけど、そのとき感じたのは、広告というのは完全に「クラフトマンシップ」なんだということ。つまり“職人芸”ですね。1950年代のDDBに始まり、確立されたメソッドもあれば洗練された様式もある。でも、僕たちはそれを知らないんだなと。

 のちに親友になるボブ・イシャーウッド氏、カンヌの審査員長も務めた人物ですが、最初の年、彼から「コウタロー、君の国のこの広告にはアイデアがないと感じる」って言われてショックを受けたし、考えさせられました。

 それで気づいたんです。広告というのは、アイデアとストーリーで人を“persuade(説得)”する技術なんだと。人に気づきを与え、価値の変容を起こすものなんですね。

 そう考えると、“advertising”という言葉を「広告」と訳してしまったのがそもそもの誤解のもとで。“advertise”というのは「人の気持ちをそちらに向ける」というのが原義で、「あまねく広く告げる」の広告とは本質的に異なることなんです。

 いずれにせよ、カンヌで正当に評価されるためには、世界の文法に則ったものをつくることが求められます。そこはリアリストにならないとダメだと思って頭を切り替えたんです。

あらゆる広告が“パブリックサービス”である

河尻 広告は価値の変容を起こすものであると同時に、時代を反映するものでもあると思います。時代が変わるにつれ、広告の文法も変化していく部分があるのではないかと。

 この10年来、カンヌライオンズで受賞する広告は、社会意識の高いものや社会課題の解決を志向するものが目立つようになっています。杉山さんが最初に審査された頃から、その傾向はありましたか。

杉山 その話で言うと、カンヌでは公共広告のレベルが非常に高いし、各国のエージェンシーも本気でつくったものを出品してきます。優れた公共広告が社会に与える影響力は大きいですからね。公共広告は“広告の広告”なんだということも現地でわかりました。それは、いま「purpose」や「social good」という言葉で語られている文脈の源流に当たるものかもしれない。

 ただし、この流れを理解するには、まず「パブリックとは何か?」ということを知る必要があります。公共広告は英語だと“public service ad”になりますが、このパブリックサービスという考え方が重要なんです。

 民と官のあいだにある「公(public)」という概念を踏まえて、そこに対して「奉仕する(service)」マインドを持たないと、ビジネスは社会的存在意義を失ってしまいます。

 しかし、パブリックサービス広告を日本語に訳すと、公共広告、つまりサービスという言葉がすっぽり抜けてしまう。うまく訳せないんです、“サービス”という概念がね。

 2002年のサッカーのワールドカップ招致で、韓国側のリーダーだったチョン・モンジュン氏が、なにかのインタビューで「あらゆる仕事はパブリックサービスである」と言っていたのを読んで感銘を受けたことがありますが、世界のビジネスリーダーの多くが、そういう意識で仕事をしていると考えれば、広告にもおのずとその姿勢が反映されるでしょう。

 企業の情報をある種の透明性を担保して伝えるという意味では、あらゆる広告が“パブリックサービス”なんです。

河尻 その視点はいますごく重要だと思います。広告に備わっている“パブリックサービス”としての本質が、どんどん拡大しているのがいまのカンヌだと考えると腑(ふ)に落ちることが多くて。

 『アイデアの発見』という杉山さんの著作の中にも、「従来の広告に社会性を包含することで、広告の存在価値(リアル)を回復させる。そのためには『FOR GOOD』というスパイスは必要な妙薬であり、広告界の新しい潮流となった」というフレーズが出てきます。

杉山 広告業界というのは、常に先端のテクノロジーをどこよりも早く手に入れ、受け止めて、したたかに生き延びてきた業界で、例えばいまならAIやビッグデータを導入して、正解をみんなで探り合っています。でも、あまりにその部分ばかり突出してしまうと、社会的コンセンサスが得づらくなってしまう。

 一方で、ソーシャルメディアの場に目を向けると、ものごとをリアルに社会的視点で眺めるカルチャーが育ってきてますから。そのときに広告が輝きを保つためには社会的センスが絶対必要で、その要素を取り入れることで広告の持つ説得力を回復させようという動きが生まれているのかもしれません。広告の価値回復のために、これは通らないといけない道なんでしょうね。

ユニークな課題の発見から出発するカンヌに映る世界のいま

河尻 最初にカンヌライオンズの取材に行った年に、杉山さんから「10年は続けて見たほうがいい」というアドバイスをいただいたこともあって、以降、カンヌの道のりを興味深くウオッチしてきました。

 2000年代までは、公共広告とブランド広告には一線が引かれていたのが、08年のリーマン・ショックとオバマ氏の大統領選キャンペーンの頃から、徐々に両者の境界が溶けはじめ、カンヌの受賞作を見る限りいまの広告は、すべてがパブリックサービス化している印象さえあります。

 その動きとシンクロするかのように、SDGsや環境保全、ジェンダー・イコーリティ、BLM(Black Lives Matter)などの社会運動がクローズアップされ、それらがいち早くカンヌにもフィードバックされる流れができていて、そこにはいまの世界だったり、社会の空気みたいなものまでおのずと映し出されていますね。

 世界的なこの流れを、どのように解釈すればよいと思われますか。これは広告が培ってきた課題解決の技術を、社会課題に応用する――といったことなのか……。

杉山 その話で言うと、広告の役割が課題解決であった時代から、いまは問題提起になっているんだと思います。AIやビッグデータを活用すると正解が手に入る時代に、正解そのものにはあまり意味がなくなってしまった。

 だから、課題解決の前に、「どれだけユニークな課題を発見できるか?」が大事なんですね。ユニークな課題から出発すれば、その解は必ず面白いものになるでしょうから。“アイデアの発見”というのは、「課題をつくる」ということでもあるんです。

 時代はいま「課題解決」から「課題開発」へとシフトしていて、イノベーションを起こすには、広告という行いをどこまで時代の文脈にあわせて再定義できるか?ということなんでしょう。それがもっとも効率のいいイノベーションですから。

 イノベーションって、まったく何もないところから新しく起こすことだと思うかもしれないけれど、実は自分の足下に転がっている知的資産を、もう一度発掘し、その価値の再定義をすることなんです。「隣の芝生がうらやましくて…」ということではなくてね。己の姿を鏡に映して、もう一度じっくり見直してみれば、その中に必ず再び輝けるものがあるはずだから。

「パーパス」は広告産業をアップデートする

河尻 いまカンヌで起こっていることは、まさに広告の再定義であって、そう考えると流行り言葉のようになっている“purpose”も理解しやすくなると思います。

 それはつまり、ブランドの存在意義(目的)を問い直す動きで、いまという時代にそれをやれば、おのずと社会を意識せざるをえなくなるんですね。かつてのようにカスタマーとの限定的な関係性の中で、ブランドの存在を規定できなくなってきていますから。

杉山 考えてみれば、あらゆる商品は「社会的存在」ですから。工場の中では「製品」だけど、世の中に出た瞬間「商品」に変わる。つまり、社会的存在物になるわけで、そこに対して企業は様々な責任を負わなくちゃいけないし、社会に対してよりよい価値を提供できる商品になってほしいというのが願いでもある。そのメッセージを伝えることが広告の役割なんだと考えると、“purpose”は基本の基ではありますね。

河尻 先祖返りのアップデートなのかもしれません。“purpose”はイメージとして“social good”とリンクしやすいですし、施策の表れ方として社会貢献的なプロジェクトになる傾向があります。でも、実際はもっと大きい概念であり、広告の本質に根ざす行いでもあって、目に見える部分だけを見ていると、勘違いしてしまうんじゃないかと思うんです。

 今日はとても興味深いお話が聞けました。最後に、来年以降カンヌライオンズへのエントリーを考えている方々に、杉山さんからアドバイスなどいただけましたら。

杉山 そうですね。2つあります。1つは視覚言語の大切さ。ノンバーバルなコミュニケーションで勝負しないと世界には届かないということですね。海外の優れた広告にほとんどナレーションがないのは、異なる言語と文化の人たちに向けてのコミュニケーションが前提になっているからです。

 僕自身、最初カンヌで審査をしたときに衝撃を受けて、ビジュアル・ランゲージに徹して企画したのが「WATER MAN」(ACジャパン/1996年)。これは世界に向けた日本発の公共広告へのチャレンジでした。

WATER MAN
 協力 ACジャパン

 もう1つは創業者の視点に立ち返るということ。これはクリエイターというよりも、企業のみなさんに向けての提案ですね。講演などで「課題解決から課題開発へ」というお話をすると、よくご質問を受けるんです。「じゃあ、どうやれば課題をつくれるんですか?」って。

河尻 確かにそれは聞いてみたくなります。

杉山 実は課題をつくるのは簡単なんです。課題というのは、現実と願望の乖離から生まれるものだから、未来への夢があって、目の前の現実を認識している人なら、おのずと課題を発見することになります。さっきの再定義の話と同じで、自身を見つめて価値を発掘し直すということですから。

 ただ、それは大変な作業でもある。課題を開発しようと思うと、まず目の前の現実に対峙しなければいけないし、ゼロからイチを生む行為でもあって、その意味で課題開発は“クリエイション”なんですね。

 そのときに創業者の視点がヒントになると思うんです。いまは、もう一回、ゼロイチからつくり直さないといけない時代だと考えると、やはり創業精神への回帰が必要なんだろうと。もちろん、カンヌに足を運んでもらうのも刺激になると思います。課題発見のケーススタディを山ほど目にすることになるでしょうから。