2021.11.9 share
浅井雅也


浅井 雅也
(あさい まさや)

クリエイティビティとイノベーションを中心にした課題解決のアプローチを得意とする。2007年日本人初のアジアベストクリエーター選出。17年博報堂最年少グローバルクリエイティブディレクターに就任。21年よりDroga5設立メンバーとして参画。代表作のApple「Shot on iPhone」でCannes Lionsグランプリなど、国内外で受賞多数。

共感を醸成する仕掛けづくり

 「ストーリーテリングとは何か?」をクリエイティブ業界で働く10人に問いかけたら、おそらく10通りの答えが返ってくるのではないか。ストーリーテリングの定義は、まだまだ明確だとは言い難い。ただし共通事項はある。単なるメッセージはストーリーではなく、商品・サービスの特徴を羅列して情報を一方的に浴びせることはテリングでもないという点だ。

 様々なブランドの主張が氾濫する現在の社会の中で、流れ去ることなく生活者の心の中に何らかの引っ掛かりを残し、時に揺さぶり、人の気持ちをインスパイアする。そして行動変容を促して、最終的な購買行動へと繋がるアクションのトリガーとなる……。人の心の琴線に触れ、顧客を振り向かせるもの。それが私の考えるストーリーテリングだ。

 だから私たちの手がけるクリエイティブの仕事は、ほぼそのまますべてがストーリーテリングであるとも言えるし、コミュニケーションの本質そのものであるとも言える。なぜならストーリーテリングは、「相手があってはじめて成立する」ものであり、不特定多数へ向けてばら撒いて、誰かが拾ってくれればよいという発想で行うものでもない。メッセージは、常に「あなたへ」という想いの上に載っており、特定の1人へ向かって語りかけるものだからだ。

 ストーリーテリングは、ブランド自身がいかに情熱的であるか、力強いビジョンを持っているかに基づく。いわば「自分たちが、どれほど“それ”が好きで好きでたまらないのか」という思いが溢れ出たものである。ストーリーの受け手は、強い共感によって商品・サービスの顧客になり、そのブランドのファンとなる。自分(自社・ブランド)の熱意を相手に伝える行為がストーリーテリングではあるが、「好きになってください」とお願いするようなものでも、押し付けるようなものでもない。相手を意識した営みであり、自身を語り、相手に聴いてもらい、同じ目線に立つ仲間を増やす仕掛けづくりなのだ。

それまでの常識・価値観を社会に問う

 言葉や概念としてのストーリーテリングは比較的新しい。しかし、こうした考えに立脚したアプローチは、伝統的に存在してきた。カンヌライオンズの過去の出品作品で、私がストーリーテリングの文脈で紹介したいキャンペーンは2つある。いずれも私が若手だった頃に強いインパクトを受けた作品だ。

 1つは、2006年にグランプリ受賞の栄誉に輝いたユニリーバのボディケア、フェイスケア、ヘアケアのブランドであるDove(ダヴ)のEvolutionキャンペーン。もう1つは、アップルが04年にテレビCMとして展開したiPodのSilhouetteキャンペーンだ。

DoveのEvolutionキャンペーンは、女性がメイクアップされ、さらに画像加工ソフトでレタッチされる様子を早回しの映像にし、さらにそれが都市のビルボードに掲示されて行き交う人々が見上げるというフィルムだ。この広告クリエイティブは、一般的に考えられている美の基準や価値観がいかに作為的なものであるかを表現することで、逆説的に「あなたの、ありのままの姿は美しい」というメッセージを対比的に浮かび上がらせている。

 ストーリーテリングでは、社会通念に疑問を投げかけたり、価値観の見直しを提唱したりといったことを率直に、勇気を持って発信する。迎合せず、それまでの常識を疑い、自分たちが過去にやってきたこと自体をアンドゥ(Undo)するような、いわゆる「世に問う作品」も多い。Dove Evolutionキャンペーンはまさに、「(美について)誰もが当たり前だと思っている事柄は、実は当たり前でも何でもない」と断言している。

 このクリエイティブを私が目にしたのは、広告業界に入ったばかりのタイミングだった。いいモノを、綺麗に、カッコよく見せることをあえて否定して、「素の人間の美しさ」に焦点を合わせたDove Evolutionキャンペーンは、私にとってストーリーテリングの1つの手本になっている。

感性へと振り切ったメッセージング

 Apple iPodのSilhouetteキャンペーンが登場したのは、私が米国の美術大学で広告クリエイティブを学んでいたときだ。当時、一般的なプリント広告ではメッセージ等をビジュアルで表現しつつ、いわば「大喜利」のようなオチをつけることでユーザーに強い印象を残すことが良いとされていた。

 例えば、アスファルトの道路がクッションになっていて、ビジュアルの脇にヘルメットのプロダクトが掲載されている。この広告を見たユーザーは「道路に頭をぶつけると大怪我をする。しかし、このヘルメットを着用していれば、転んでもクッションに当たるようなものになる。よって、このヘルメットは安全のために必要だ」という文脈を理解する。このようにロジックとユーモアで成り立っていたのが当時の広告の主流だった。

 しかしApple iPod Silhouetteキャンペーンは真逆で、視聴者のエモーションを喚起する「感性」へと振り切っていた。シルエットであるから、踊っている人物が誰なのかは不明である。iPodのアイコニックな真っ白なケーブルとイヤホンだけが画面を縦横無尽に舞っている。だから視聴者はそのシルエットに自分自身を無意識に投影したうえで、「人を鼓舞する音楽のパワー」というストーリーテリングを受け入れる構成となっている。

 この2つの作品は、ユーザーが登場人物と自己を同一化するプラットフォームとして広告が機能することを証明している。私がまだ新人だった頃、これらのクリエイティブに強い影響を受けたことを鮮明に覚えているし、広告業界の仲間と会話する中でも、これらのクリエイティブが頻繁に話題に上ることから、多くのクリエイターが影響を受けたであろうことを感じる。

人を勇気づけたいという強い意志

 翻って昨今のカンヌライオンズ出品作品を見てみよう。20年、全人類に多大な影響を及ぼしたのは間違いなくCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)のパンデミックだ。

 Nikeが発表した「You Can’t Stop Us」は、24の競技の選手53人の映像を左右に分割して動きが一体になるように演出しており、神業のような編集技術の粋を集めたフィルムだ。ウイルスは我々を止められない。転じて「人類は止まらない」という大きなメッセージをアスリートの活躍、スポーツがもたらす感動に重ね合わせたストーリーテリングになっている。

 こうした感動演出は、しばしば「おナミダ頂戴系の演出」に陥るリスクと隣り合わせでもある。しかしNikeのこのキャンペーンでは、全人類を勇気づける表現を嫌味なく、クリーンに、しかも本質的メッセージとして完成させている。そのうえで、Nikeのタグライン「Just do it.」と完全にリンクしている。ストーリーテリングの傑作であると私は考えている。

 

時代性と適合し、業界全体を巻き込む

 最近の作品としてもう1つ紹介したいのが、アメリカの新聞社「ニューヨーク・タイムズ」(NYT)が発表した「Truth」キャンペーンだ。このキャンペーンが示唆しているのは、ブランドと生活者の関係はメッセージを伝えて終わるような瞬間的なものではなく、社会の違和感に共に立ち向かう対等な関係であること、企業はその関係性を前提にビジネスモデルを再考しなければならないことなどである。

 言うまでもなく、新聞社が広告キャンペーンを打つ時、定期購読者の獲得といったセールスプロモーションの目的が大きい。しかしNYTでは、報道の存在意義や社会的役割に立ち帰って、真実(Truth)の価値を再定義している。NYTは大手新聞社の1つだが、このキャンペーンでは他紙の購読すらも推奨し、フェイクニュースが溢れる現代だからこそ、改めてジャーナリズム全体の価値を見直そうと呼びかけているのだ。

 こうした時代感の切り取り方、業界全体を巻き込んだ価値の再訴求は、まさに現代的なストーリーテリングの姿である。もしも「Truth」キャンペーンの実施が10年前(2010年)であったらどうだろうか。iPhoneの登場から3年程度に過ぎない当時は、フェイクニュースも今ほど社会問題化しておらず、Truthなどと言われても、上滑りしていたかもしれない。しかし2020年においては、“真実”がかつてないほどの重みを持っている。Nikeのクリエイティブにしてもパンデミックに立ち向かう姿勢を表明しているなど、両者は時代性に見事に適合したキャンペーンだと言えるだろう。

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なぜ社会の変化とアラインするのか

 ケーススタディを4点紹介したが、続いては、なぜ社会と足並みを揃えたストーリーテリングが、広告クリエイティブで存在感を増しているのかについて考察を深めたい。

 ボディケアやヘアケアは誰もがするし、事実上iPodの機能を内包しているiPhoneは大勢の人のポケットに入っている。道ゆく人をみればNikeの靴を履いている人が何人も目の前を横切るだろう。つまり、生活者にとってこれらのブランドは、日常に浸透していることを意味している。そして、ブランドの認知度の高さに伴う社会的責任は、そのブランドの経営者や従業員が考えているよりもずっと大きい。ブランドは、もっとそうした自己の影響力を認識しなければならない。

 例えば、サステイナビリティや透明性は、経営において不可避のテーマだ。また、その企業が何らかのプロダクトを製造・販売している場合は、人権問題や労働問題といった人に関わる分野へのスタンスの表明は必ず問われる。

 経営者がそうした社会問題を無視して素通りすることも、経営判断として不可能ではない。だが、顧客や株主、あるいはジャーナリストや諸問題の当事者から問われた時にはどう答えるのか。無関係を装うことは、もはやできない。社会的影響力の大きいブランドであるほど、責任あるメッセージを先手先手で発信していく必要があるのだ。

 ストーリーテリングは、こうした観点で「そのブランドのパーパスを社会へ向けて形にした表現」であるとも言える。

パーパスと結びつくストーリーテリング

 社会的に善と思われるメッセージを、単発で発信していくことは簡単だ。しかしストーリーテリングにおいては、メッセージのどこを切り取ってもその企業のパーパスが表れなければならず、これは容易ではない。つまりブランドにとっては一貫性と継続性が何よりも重要となる。

 私が19年にカンヌライオンズのデザイン部門審査員を担当した際、もはや時代は見た目の美しさやクラフトの質だけでの評価ではなくなっていた。デザインの領域は拡大してサブカテゴリも年々増えているが、「どのような成果を社会にもたらしたのか」という評価軸は、常に共通している。

 ストーリーテリングのメカニズムの本質は、世界を動かすファンクションである点に尽きる。例えば過去に私たちのチームで手がけた作品として、パラ卓球の選手が感じている卓球台の大きさを、標準の卓球台を変形させることで可視化した「PARA PINGPONG TABLE」がある。

 世界へ向けて何らかの価値観を表明するとき、そのストーリーテリングはノンバーバル(非言語)なコミュニケーションで共感を育む表現となっているほうが、文化や国境を超えて広まりやすい。人間にとって「言われただけのこと」は忘れやすいが、「自分が感じたこと(心が動かされたこと)」は忘れにくい。よって、ストーリーテリングで求められる創意工夫は、言語を超えたビジュアルで、共感による新しいファンを生み出せるよう考え抜くことである。

日本肢体不自由者卓球協会「PARA PINGPONG TABLE」

不変の存在こそが目立ってくる

 変化のスピードはますます加速し、AI(人工知能)やVR(仮想現実)などの技術、パーソナライゼーションなどの手法は洗練されてきている。だからこそ、逆説的に普遍かつ不変のものがより目立ってくる。あらゆる商品やサービスがコモディティ化する中で、ブランドがファンの支持を獲得し続けるには、不変の部分への着目による「本質での勝負」が必要だろう。

 なぜなら17年の調査報告でも、生活者が1日で目にする広告の数は4000〜1万にも及ぶと言われている(出典:Forbus”Finding Brand Success In The Digital World”)。広告の氾濫の中で、生活者に「自ブランドを認識してもらう」には、ストーリーテリングによってメッセージの受け手と共感を醸成するほかない。それが広告クリエイティブにおける今後の差別化ポイントとなる。  生活者は賢い。とってつけたような表面的なコミュニケーションは上っツラであると即座に見抜かれる。商品・サービスのメリットをアピールするだけでなく、ファンとの共感をカルチャーのようなレベルまで高めていかなければならない。だからこそ、ブランドはビジョンを情熱的に語る必要がある。ストーリーテリングの極みは、まさにそこに尽きると私は考えている。